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自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

自分の本質を知ってしがらみから自由になると、社会人として生きずらくなるのか?

自分の本質を知ってしがらみから自由になると、社会人として生きずらくなるのか?

 

意識的であれ無意識的であれ、みんなそこを恐れるんですね。

 

そして、その答えはイエス。

 

社会人としては、とっても生きづらくなります。

 

たとえば駅のプラットフォームで、急に歌いたくなったから歌うというようなことをしたら?

 

冗談の通じないガチガチのボスの、ほとんど命令に近いパワートリップに対して、ただ大きなハートで包み込んであげて、微笑みを返したら?

 

会う人ごとにハグしたら?

 

これまでの社会的な仮面、あなたが演じて来た、そのセルフイメージは、ガラガラと音を立てて崩れ去るでしょう。

 

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こんな逸話があります。

 

ーーある旅人が小さな村にたどり着いた。彼はのどが渇いていたので井戸の水を飲もうとした。そこには「危険。この水を飲むときちがいになる」と書いてあった。

 

彼は踏みとどまり、どこかの家で水をもらおうとすぐそばの家を訪ね、「すみませんが、お水をいただけますか?」と声をかけた。

 

「いいよ、でも、井戸に行けば良いじゃないさ。この村の水はすべてあの井戸からくんだものだよ」

 

村人はそこではじめて気がついた。

 

「何てこった! この村人たちはみんなきちがいなんだ!」

 

彼は人々に声をかけて回った。

 

「この水を飲んじゃいけない! 正気に戻ってください!」

 

 

村人たちは彼を笑った。

 

「あんたは何を言っているんだ? この水は村人の全員が飲んでいるんだよ。おかしいのはあんたのほうだろう。こんなウマい水を飲むななんて!」

 

そして、彼は一人置き去りにされた。

 

彼は喉が渇いていた、そしてそれ以上に怖かった。

 

彼は井戸のそばに行き、目を閉じて、一気に水を飲んだ。

 

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私にとってはちょっとしたスリラーよりも怖い話です。

 

私は「ウマい水」が「美味い」のではなく「巧い」のだと気がついてからは、そこにある罠に落ちることがなくなりました。

 

歌いたいときに歌い、踊りたいときに踊るーーそういう<生>を生きることを選択していると、私が社会に順応しなくても、社会が私に順応します。カジュアルな表現をするなら、「ああ、ダソというのはこういう人なんだな」って認めてくれる。だからそれなりの居場所は確保するし、まわりには同じように生きている人が大勢いて、“新しい社会”が形成されていくんです。

 

自分の本質を知り、同時にこの社会で生きることは可能です。そのことを広く人々に知って欲しいです。

 

エッセンシャルトレーニング』=自分の本質を知り、人の本質を伝えられる=そういう人を育てて生きたいと強く思うのです。

 

 

4月26日午後6〜8時半。神楽坂セラピースペースパレットにで説明会があります。参加は無料ですが、お部屋の関係上、予約をしていただく必要があります。コンタクトページからお申出ください(残席わずか)