自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

「質を高める」というのは「気づきの質」を高めること

ただ読み過ごして、何も心に残らないような文章を、日々たんたんと書きながら、アクセス数が増えるのを見て自己満足をおぼえることもできる。

 

自分が伝えたいことにしっかりとチューニングし、ターゲットを絞って、あたかも彼らに向かって語りかけるように書くことだってできる。(疲れるけど。。。)

 

何気に書きたいことがあったときだけ(つまり気分が乗った時だけ)、きっと読んでくれているはずの友人たちに向かって発信するメッセージこそが、双方にとって意味があり、だからこそ、こちらが期待するようなリスポンスも生まれるのだと、信じることだってできる。

 

つい先日、私がとても尊敬する編集者の一人に「ネット上で配信する記事には校閲もなければ役立つフィードバックもないことをおぼえておいてね」と指摘されました。つまり彼女は暗に「文章の質はどうなのかしら?」と言ってくれてたのだと思います。

 

確かに、私は書くことの練習とか言いながら、「読んでますよ」とか「楽しみにしています」と言われることで「いい気分」になっていたし、文章の質を高めるということよりも、喜ばれる、認知されることの方に偏っていたなと気づきました。

 

ブログであれ、マルマガであれ、私が文章を書くのは、一つの表現の場として活用したいからです。確かに校閲もなければ質を高めてくれる感想文も滅多に来ないーーでも、アクセス数はある種、数だけの購読者がいることの証明だし、「楽しみにしている」という人がいる限り、何かが伝わって行っているはずです。

 

そして、「質を高める」というのは「気づきの質」を高めることだと理解します。けっきょくのところ、何をしていても、基本は瞑想に戻って行くということですね。

 

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