自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

セラピーは原因を究明する。瞑想はすべてを感受する。

貧しい農家の三男坊だった父は、遠縁にあたる一人娘の母の家に婿養子に入った人だった。寡黙な人だったのを思い出す。

 

彼の声はいつも私の胸の、上の方にひびいてきた。なぜそう感じたのかはわからないけど、叱られても、誉められても、いつもそこにひびいていたのだ。

 

朗らかで、元気の良い母親の声の間をぬって、彼の声をいつも求めていた気がする。

 

なのに、私は父と折り合いが悪かった。何を言っても心が通わないーーかならず口論になるのだった。

 

ずっと後になって、心理セラピーを学びはじめ、私が母の想いを代弁していたこと、母方の祖母が彼に抱いていた感情を繊細に感じ取って、仲介役を引き受けていたことなどなど、「まったく嫌になるけどその通りだよな」って思うことが次々に解明された。

 

その結果として、私が男性に100%の信頼を置けなかったことや、愛し愛されてもその相手が死別してしまったこと、などなど、、悲しみを乗り越えるために、何度も何度も、いろんなセラピーを受けた。そうして傷は少しずつ癒されていった。

 

ただし、その根底に「自分自身に向き合う力となる」瞑想がなかったら、どんなセラピーもバンドエイドでしかなかっただろう。

 

セラピーは原因を究明する。瞑想はすべてを感受する。

 

そうではないですか?

 

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