自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

日本人は祈りの民族。だからこそ“その”祈りを大事にして欲しいと思い ます。

自分自身のマスターになる

瞑想コーチ 斎藤だそです。

 

祈りは魂からやってくる。だから自分の言葉で祈りたい

 

 

祈りに定型文があってはいけないと思うんです。

 

日本の神道って祈りだと思うんだけど、仏教が入って来たら途端におか

しなことになってきた。インドで発祥したブッダの教えが中国に渡った

時点で経典なるものができていたと思うんですが、まんま日本にやって

きて、どうなったかと言うと、、。

 

 

日本人って本質的に外からやって来るものに対してすっごくオープンだ

から、神さまも仏さまも同居させたんですよね? 神仏一体とか習合と

か言っちゃって、まあ狭い国だから仕方ないですけど。。。

 

でね、私の理解では、ブッダの教えって基本的に「自我を捨てて悟りを

得るための道」を説いていると思うんですが、私たちお寺に行って手を

合わせて祈るじゃないですか?

 

どうぞ悟らせてください! ならまだしも、家内安全、健康長寿から始

まり、ああしてくれ、こうしてくれって、こんなの祈りでも何でもない

と思うんです。

 

ちなみに私は仏門の前ではただ頭を垂れて目を閉じ、しばしの静寂に入

ります。That's it!(おしまい!)

 

そしてね、祈るときは、、、

 

たとえば朝陽に向かって立ち、全存在に対して感謝の心と共におじぎを

するときもあれば、道端の名もない雑草にいやされたその瞬間に、大空

に向かって両手を大きく開いたり、、、そこに言葉はないなあ。。。

 

日本人は祈りの民族。だからこそ“その”祈りを大事にして欲しいと思い

ます。

 

 

続きはこちらから

 

www.reservestock.jp