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自分自身のマスターになる

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

自分のエゴとつねに向き合いながらも“その場にいる”

家族の中の自分自身

 

家族の座は心理セラピスト、バートへリンガー氏の多大な功績によって世界中に広がったワークです。

 

日本では私の古い友人でもあるチェトナ小林さんがへリンガー・インスティテュート・ジャパンを運営していらして、多くのファシリテイターが育っています。

 

私が家族の座に出会ったのは10年以上前ですが、習得するのがとてもむずかしいワークでした。ワークそのものはとてもシンプルです。けれども、相手に介入せず、なおかつその人の「魂の声」に耳を傾けるという作業は、私にとっては、自分のエゴとつねに向き合いながらも、その場にいるよう強いられることだったのです。

 

エゴと向き合うとは?

 

ここで私が言わんとするのは、「知っている」というエゴです。セラピストを長くやっていると、学習したことが知識としてしっかり頭につまっています。それは自然なことですが、仮に「このケースはこういうことだ」というふうに、知識だけでこのワークをしたとしたら、それはまったく無意味な作業になるでしょう。

 

どんな人にも何かしら本人が気づいていない隠れた情報があって、それを知るのは実のところ本人以外にないのです。その意味ではセラピスト側の「知識」ほど邪魔なものはないでしょう。

 

つまり、家族の座を進めていく上で、意識レベルでは自分の直感を信じるしかないのですが、「自分の」直感というとき、その「自分」がどういう自分なのかに気づいていないと、座(セッションが行なわれている場)のエネルギーをおかしな方向へみちびくこともあり得ます。

 

最初から最後まで気が抜けないワークなのです。ピンと張りつめた空気の中で座が開かれ、そこでクライアントさんが知るべき情報が紐解かれていく。すると、だんだんに場の緊張が解けていきます。そのプロセス自体がそこに参加しているすべての人にいやしをもたらすーーそれがこのワークのすばらしいところだと思います。

 

私はしばらく家族の座から意識的に離れていました。エゴと向き合う作業に疲れ切ったからだと思います。でも、今回ご縁があって再開に踏み切ったのは良いスタートだったようです。

 

というのも、(何かはまだわかりませんが)新しい局面に入っていった気がするからです。友人でもあるオーガナイザーが「5年前と違うよね?」って言ってくれたことで気がついたのですが、確かに私は(ほぼ無意識的に)クリーン・ランゲージの要素を取り入れて働きかけをしていたんです。

 

自分自身の中でいろいろなものが統合されていってるというのは、長年瞑想にエネルギーを傾けて来たことの恩恵です。いろいろあったけれども、やっぱりこの私に感謝だなあとハートに手を置いたのでした。

 

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