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自分自身のマスターになる

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

自分らしく生きれないことはもうやめ!

自分らしく生きれないことはもうやめ!

 

もう何もかもやめ! って言う瞬間がやってくると、お腹の底からふわ〜っとなってすご〜くくつろぐんだけど、そのあとなんか別のこれまた深いところから「不安」のようなものがやってきます。貯金もないとか仕事もないってなると余計にね。

 

ここでたいていの人はめげちゃう。。。やっぱり食えなくなったらお終いだとか、それで私に何ができると言うのか! とかね。

 

私も何度もその道を通ってきました。仕方ないよな〜ってまた社会に従い、でもやっぱり違うって怖さがあっても手放して、いややっぱりヤバいよ! とか言って戻って、、、。

 

先日自画像のワークショップに参加して、これに近い繰り返しのパターンに気がついて、「まだやってんの?」って思ったら心底うんざりしたんです。え? 私が瞑想をコーチしているからと言って何もかもマスターしているって思ってた? まさか! 誰にだってこういうブレは起こります。で、私と他者との唯一の違いは、このようなことに気づいた時に気づかないフリをしないことかも。

 

この繰り返しのパターンっていうのは結局のところ「自分自身をマスターしていない」から起きることです。自分のリソース(能力、資源、良いところ、美しさ、好きって思えるその部分)を心の底から受け入れたら、社会が何と言おうが私はこう生きる! って言えたら、肚が決まる。そうなったら繰り返しはしなくなります。

 

私の場合は、今回のグループで自分の中の「お世話好き」が所々顔を出してくることに気がついたんです。それを止めるとどうなるか(というよりもどうなると思っているか)というと、人びとから忘れ去られるような気持ちになって不安がふくらむんです。

 

そこをずっと見つめていくと、幼い頃の記憶だとかあれこれに出会うわけですが、そういうところをジャッジ(判断)しないでただただ見つめていくというプロセスだったので、「観照する」ということがほんとうに助けになるんだなあという発見でした。

 

鏡の中の自分の顔を「絵を見ないで描く」ということをずっと言われ続けて「どうやってそんなことが可能なんだ!」と思いつつも描いていったら、ある瞬間、そうか! 手を信頼すれば良いんだ、つまりはそれは「自分を信頼し」「起きていることを信頼する」ことなんだって思えたんです。

 

それでも絵を見ようとする自分も出て来て、そこには葛藤がありましたが、描き上げてみると「奥のほうからやってきた何か」がにじみ出ている絵だと思えました。

 

自分自身の本質がにじみ出るのを許すこと

 

これって「絵を描く」グループではない、自分の顔を描くグループでもない。自分自身の本質がにじみ出るのをいかに許すかなんだってことが肚に落ちました。

 

でね、最後のWho is in?というこれまたユニークなエクササイズで「お世話好き」の私はほんとうの私ではないって気づけたので、これからはもっともっと自分自身のマスターでいられるぞ! って大きな深呼吸がやってきたんです。

 

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