自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

自分らしさを見いだすワーク

自分らしさを見いだすワークを今秋から続々スタートさせます。

 

第1弾は「自画像」

 

セルフポートレイト=自画像は、内側の隠れた「顔」をあらわにします。でも、それは見たくない自分を通り超えた、もっと奥深くの「顔」なのです。

 

私たちのだれもが自分の見たくない部分に目を向けようとしません。そのために、それがいつまでも内側でくすぶっていて、習慣性のパターンが繰り返され、人生を生きにくくしています。

 

そして、その部分を見た方が良いとわかっていても、自分で見るのはむずかしいんですね。

 

自画像のようなワークは、絵を描くという行為に没頭することで意識の心を忙しくさせるんですが、その間に、無意識の心が、「見たくない」って言ってたはずの部分を絵の中でポロッと出させたりするんです。

 

つまり、絵の中にそれがとつぜん浮かび上がるわけです。

 

もちろん、見たくないので消そうとするのですが、いったん目にしたからには、無視はできません。

 

そのうち、消すよりもしっかり見ようという気持ちになっていくんですね。恐いもの見たさかもしれませんが、逆に凝視してしまう。目が離せなくなっていくんです(笑)

 

このプロセスは、一度経験すると、大きな変容のチャンスとなります。

 

「え?! 今のが私?」っていう感じで、次から次に自分の新しい顔、今まで見たことのない顔に出会っていくのです。

 

詳細とお申込みはこちら

 

リーダーのカントゥは言います。

 

目を閉じて、ただ優しく愛しいものに触れるように、自分に触れた事はありますか? 

このセルフポートレートセッションでは、鏡を前にし、自分自身に触れる感触を通して、自画像を描きます。それは絵を描くというよりも、自分と真正面から向きあい「私は誰?」と問いかけ続ける瞑想のプロセスであり、普段見ている表面上の自分だけではなく、「今ここ」に在る、自分の本質と出会う旅でもあります。

恐れや評価を手放し、あるがままの自分自身を愛し受容することは私たちに滋養を起こさせます。その体験は私たちの内側に大いなるリソースを育てるとても豊かな瞬間です。そうしたリソースが宿った顔には、内側からのくつろぎの光が反映します。一度それを実体験してしまったら、タッチの質だけでなく人生にも大いなる変容が起きるでしょう。

 

Who is in(内側にだれがいるか)と尋ねること

 

11月1、2、3(金土日)開催「自画像とWho is in?リトリート」のWho is inのパートは私が受け持ちます。自画像を描く合間に、私たちはこの真摯な問いを問い続けるのです。

 

Oshoが言う「内面の美しさ」を見いだしていくために。。。

 

 

醜さを隠さない人には、独自の美しさがある
何も隠そうとしない人には、ある種の気品がある
そうした気品は、素裸になってはじめて表れてくるものだ
くつろいでいるときには、ある種の気品がそなわる
そして、醜い顔でさえ美しくなる
ところが、隠したら美しい顔でさえ醜くなってしまう
私にとって美しさとは、あなたが本当にありのままでいることだ
あるがままでいる・・・全面的にその中にくつろいでいることだ
もし、あなたが醜かったら、あなたは醜いのだ
そのことにくつろいでごらん
そうすれば、ある微妙な美しさがあなたの顔にやって来る
リラックスしてくつろいだなら、ある微妙な流れが顕われてくる
それはダイアモンドから来るのではない
それはあなたの内なる自己から流れて来ている
自分自身にくつろいでいない人は他の誰に対してもくつろげない

                               OSHO 瞑想ー祝祭の芸術

 

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