自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

自由と責任、そして責任と自由

なぜ自由に憧れるのでしょう?

 

自由への憧れはどんな人も持っていますが、たぶん俗に言う未開の地の人びとにはそういう発想すら生まれないでしょう。彼らは自分たちが自由であることを知っています。つまり、自由に憧れるということは、まずそれを選択していないことの現れなんです。

 

自分自身を振り返ったときに、自分らしさって何? という問いかけが、自分らしさを大事にしよう、という認識に変わって来た頃から、私は自由なんだという意識もそこに加わって来た気がします。なので、「憧れ」というのはなくなった。代わりに、不自由さを感じたときに、自分が何を選んでいるかを即座に確かめるようにしています。

 

たとえば、今朝、ため息とともに「ああ、飛行機に乗りたい」とつぶやく私を見つけました。最後に海外に出たのは昨年の夏だったので、ちょうど10ヶ月目。そんなに何年も日本にいるわけでもないのですが、息が詰まって来る感じがしているんです。そして、あ〜あ、というため息。。。

 

タイでもバリでも良いから、海を見に行くかなあ。。。長年旅していると、最低2週間から5週間くらい行ってはじめて旅したって感じなので、沖縄に行っても、海外に出ても大して変わらなかったりするんですよね。で、ため息。。。

 

そのため息を受けて、別の私がきびしい声で言うんです。「いまそんなこと言ってる場合じゃないでしょ?」って。なぜかと言うと、新しいプロジェクトを展開させているときだからです。いま日本にいてそれを根付かせれば、もっと長い展望で物事を見ることができるというのはだれよりもこの私が知っていることです。で、ため息。。。

 

私は私に言います。

 

どこにいようが、何をしようが、私はまったく自由。ただ、その選択に責任を持つことだけ。。。よね?

 

はあい。でも、ため息はため息なんです、しつこいですが。。。

 

自由と責任

この二つはバッチリ背中合わせです。自由を叫んでいながら自分の行動に責任持たない人がいますが、それは単なる身勝手。とってもわかりやすいですね。できるできないは別の次元の話です。ただ、自分の行為、自分の選択に責任を持つと、それだけで自由を手にしていることになります。ここが勘違いされやすいところですよね?

 

責任を持つを不自由さに感じてしまうとドツボです。上の私の例のように、ため息をつくことになる、でも、ため息付いてもいいから、自分の選択と行動に責任を持てば、その瞬間私たちは自由なんです。

 

ため息をついている私は、こうやって文章を打ちながら、ここで踏ん張るんだ! って自分に言い聞かせることができます。この状況は間違いなくこの私が選んでいることだというのがわかると、違った種類のため息が出るんですね。

 

よし、来年の夏のキャンプに備えるぞ、って感じにね。

 

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