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自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

個人として生きる道を選んでいますか?

その人らしさはかもし出されている

 

たまたまYouTubeを見ていて遭遇した映像にギョッとしたんですが、その方はすっごくご大層なキンキラの服を着ていて、髪もキンキラで、舞台の上に乗っかっていたんです。で、何だか、人の質問に答えているふうでしたが、映像から受け取れるバイブだけで、ウッとなったので、見ることはしませんでした。

 

その翌日、これも偶然に見たビデオで、ある記者がOshoにインタビューしているんです。もうその笑顔だけで惹き付けられるし、インタビューしている記者に何が起きているかも、とても明らかです。

 

Oshoが話しの流れの中で、彼を「私のバスルームを見てごらん。最高のバスルームだよ」と言ったら、彼は「それって私を招待してくれているんですか?」と応えるんです。

Osho:そうだよ。

インタビュアー:あなたはこれまでに記者を自分のバスルームに招待したことあります?

Osho:いいや、君に対する好意と同じほどの好意を持てる男がいなかったからね。

(ここで大笑いした記者が言います)

これって愛なんだろうか?

Osho:そうだよ。

 


OSHO: I Wonder If This Could Be Love? - YouTube

 

個人として生きる道

 

 Oshoの言葉から私が拾ったのは、「社会とはただの名称。集合体というのもそうだ。現実は、個人が存在するだけだ。」ということ。(ここで私は要約しているので、関心のある人は、Oshoの言葉そのものを良く聞いてくださいね)

 

確固たる個人でいることは、社会のルールに反しています。社会のルールは、個人を排除します。個性を大切にという言葉とは裏腹に、社会は人びとが個人として生きる道を認めていないのです。

 

社会は存在するし、社会が存在することに何の問題もないです。ただ、個人として生きる道を選んでいると、そこのルールには従えないです。反発するつもりなのではなく、単に従うことができないのです。社会があって、私がいる。社会に属さないで生きていくスタンスもありかなと。

 

その道は今ここに、私の手のうちにある

クリーン・ランゲージの問いはこういうときに有効なんですね。

 

その道はどこにある? って自問すると、目の前にまっすぐに伸びた道が見えます。私の両手がその道の両端につながっているので、道を持っている感じです。

 

こんなふうに知覚するとき、何か自信のようなものが沸いて来るんです。自分で自分にそうだよ! って言ってあげている。そうすることで、確固たる個人でいることにむしろ安心感を持てます。

 

今日は少し晴れそうですね!

 

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