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自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

シリーズ・自分らしさを追いかける旅ーその2

自分らしさを追いかけてきた

 

逃げていくわけはないんですが、自分らしさを追いかけてきたなってつくずく。それはちょうど自分の影を自分だと思って追いかけるのに似ています。内側に目を向けることをしない限り、そんなふうに人は幻想を追いかけますよね?

 

たとえば私は18歳から占い師として日本国中旅しました。振り返ったときに、人のことを占うフリをして、自分らしさって何かを探し求めていたんだと思うようになって来たんです。

 

10年間まさに修行して、誰一人ほんとうの答えを知らないんだって気がついたら、心底渇きをおぼえました。と言っても、当時の私はまだ28歳。相当なガキでしたから、何がどうなっているのかわからずに、ただその渇きゆえに、ただただ誰もいないところへ行こうと思い、仕事を捨てて、北インドのラダックを目指したんですね。

 

この旅のことは、いま思い出しただけでも大きなため息が出ます。

 

ラダックは、ダライラマといっしょにチベットから亡命して来た人びとが移り住んだ場所の一つです。私が訪ねた頃は、外国人旅行者の訪問を受け入れ始めてまだ3年ほどでしたから、ホテルなどはなく、いわゆる民宿というか、チベットの家族のお家に泊めてもらった感じです。

 

口に入れられるものは、私たちにとっては固すぎてあごが疲れるマトンが入ったカレー、もしくは外国人用に作ってくれる焼きそばか焼き飯だけ。ノー・チョイス。ノー・コンプレイン。ノー・ノッシング。お腹空かしていたくないなら、不味かろうが何だろうが文句言わないことって感じでした。

 

ただし、朝いちばんにチベットの家族が焼いてくれるパンと、バターティーは格別のおいしさ! 彼らのほとんどは英語を話さないので、私たちのコミュニケーションは笑顔だけだったのですが、言葉なしにこれほど気持ちが通じ合うんだっていう体験は、貴重なものでした。

 

一度、こんなことがありました。

 

街で出会った二人の旅行者といっしょにバスでちょっと遠くのゴンパ(チベット寺院)を目指したんですが、その壁画に圧倒されているうちに、帰りのバスをミスって、三人とも途方に暮れたんです。

 

まあ、「タウン」(街)くらいは通じるだろうから、人に尋ねながら戻ろうということになり、歩き出したんですが、朝早いバスだったので、しばらくするとかなりな空腹に苛まれ、三人とも道ばたでダウンしたんです。

 

そこへリンゴを山積みにした大きなトラックが通りかかりました。しかも目の前で停車するではありませんか! 私たちはすぐさま走り寄りました。トラックの中のインド人らしき運転手は知らん顔をしていたんですが、エプロン姿のチベット人女性が降りて来て、私たちににっこりしてくれました。

 

まず私が彼女に近寄って、インドルピーを見せながら、ジェスチャーで「お腹が空いている」「リンゴ売ってほしい」とやってみました。するとその真っ赤なほっぺの彼女は、にこにこしたまま首を横に振り、トラックの反対側に消えたんです。

 

私は理解に苦しみました。

 

ややあって、運転手がどこかへ消えたら、入れ替わりに彼女が近寄って来て、エプロンいっぱいに抱えたリンゴを私たちによこしたんです。

 

ありがとう! サンキュ〜。ナマステ〜。

 

感謝の言葉を連発して、それを受け取り、お金を渡そうとしたら、にこにこ顔の彼女は、にこにこしたまま、それを押し返すんです。

 

私はそこで起こっていることをすぐには理解できませんでした。

 

同行していた二人と顔を見合わし、「いらないらしいよ、どうしよう」「好意は受け取るべきだよね」って話し合い、もう一度彼女に感謝の言葉を伝えて、さよならを言いました。

 

トラックを見送ってから、私たちは無言のままお互いに微笑み合ったのですが、それぞれが受け取った大切な何かは、しっかりと共有されていたんです。そして、野生の味がするその小さくて固いリンゴは、旅の1ページにしっかりと刻まれています。

 

少しでも空腹が満たされたし、それよりも何か別のものでいっぱいになっている私たちは、ゆっくり歩き出したんですが、間もなくまたびっくりする出会いをするんです。

 

そのお話はまた明日。

 

自分らしさに出会う旅 

自分らしさを体験しようという21日間のステップメールを書いています。良かったら読んでみてください。お申込みはこちら⇒⇒⇒