自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

自分らしくいることがむずかしいですって?

自分を見守っていないとそうなります

 

思い込み忘れっぽさがいちばんの癌です。自分らしくいるというごくあたりまえのことが見失われるのは、、、。

 

一に、偽りの自分ほんとうの自分だと思い込んでいること(いや、思い込まされているのかもしれない)があります。

 

「あなたは◯◯だ」って何人もの人に言われたら、そのうちあなたはそれが真実だと思い込んで、それになっちゃうってこと、気がつかないですか?

 

「これだけ多くの人が言うんだから、きっと私はそれに違いない」ってね。

 

自分を見守っていないとそうなります。

 

それでときどき、自己想起のためのワークや、瞑想や、あれやこれやと自分を取り戻すためのワークに参加して、「ああ、これこそほんとうの私なんだ、これが真実なんだ」って気がつくんだけど、そこで安心しちゃって気を抜くと、また以前のパターンに戻ってしまう。。

 

ため息、、。

 

そもそもこの社会は、偽りの自分を演じなきゃいけないんだよね。そうじゃないと、おまんま食い上げだし、干されて、くずのような生活をする羽目になるんだって、ずっと吹き込まれて育って来ているものね、私たち。

 

それってやっぱり怖いもんだからさ、演じちゃうよね? まあ、これってフリなんだけど、フリだけしとこ、そしたらたぶん安全だからって。。

 

正直でいるとあれこれ言われるだけで、ウザいよね? だから黙っとこうって。ま、ちょっとした反抗として、満員電車で最大ボリュームで音楽聴くみたいなことはするけどさ。でも、もしだれかが文句言ったら、もちろん音を小さくする用意はあるわけで、自分でもガキっぽい行為だってことは知ってるわけで。。。

 

ただ、ほんとうはそんなのは嫌だと思っていて、さっさとやめたいと心の中では叫んでいて、それで、「ほんとうの私はどこにいるの?」って自分探しの旅に出ることになって、堂々巡りが始まるのです。

 

でもね、ほんとうの自分を忘れてしまうのは、唯一怠惰さだと私は言いたいです。

 

自分を見守っていないとそうなります。

 

自分を見守り続けるのは、骨の折れることです。怠惰ではねえ、、やっぱむずかしいです。根気良く、時間という貴重な資源を有効に使って、「自分を見守る」を習慣にするという努力が必要です。

 

長年セラピストをしてきて実感するのは、人間心理のもつれた糸をほどく作業には時間がかかるということです。ということは、つまり、時間をかければ良いのです。

 

私が相談者に半年や1年間の「変容プログラム」をオファーしているのは、そういう理由からです。私たちセラピストは人が変わっていくのを見守るのが仕事だと思っていますし、それが何よりもの恩恵です。

 

Who am I? 私はだれ?

 

先日リトリートに参加された一人の方は、数年前にセッションを受けてくださった方でした。それっきりだったので、ほんとうに久しぶりの再会でしたが、気づきを得た方はやはり瞑想の基本であるこのような瞑想リトリートに行き着くんですよね。

 

「憶えてくれていますか?」という彼女と温かいハグをしたときに、彼女が「あのときのひと言がここまで来させてくれました」って言ってくれました。セラピスト冥利に尽きます。

 

でも何よりも、時間という偉大なリソースが彼女を助けて来たということに、私はこの生のすばらしさを感じるんですね。精一杯生きなきゃ、存在の与えてくれているものをしっかり受け取らなきゃ、ってことをあらためて肝に銘じたリトリートでした。

 

で、最後にもういっちょ。

 

自分を見守り続けるのは、骨の折れることです。だからこそ、見守り続けるんです!

 

私はだれ? という究極の公案とともに。。。