自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

言いたいこと言ってごらんシリーズ・その3

自分で工夫する

“スピリチュアル”の意味も曖昧なまま、何となくそれ系のものがブームになって、私が扱ってきた数秘やタロットはもろそれに見えるので、勝手にスピ系に入れられて、そんなことにムカついても仕方ないからほっておいたら、どんどんスピ系大好きの人たちに取り囲まれちまった時期があります。

 

で、そもそも数秘やタロットの看板を下ろしたのは、彼らに瞑想の真髄を伝えようとしても、今ここにしか“生”はないんだって声を酸っぱくして言っても、聞いてないっていうのがわかったからです。

 

彼らは自分で工夫することを知らないので、誰かが何か言ってくれると、それに同意してみたり、でも、他の誰かが何かを言うと、またそっちかなと思ってみたりすることになり、いつまで経っても自分で考えないし、大事なのは「どのグループに所属するか」だけらしいです。

 

何かのグループにいるのはいろんな意味で助けになりますが、それはグループ全体のダイナミクスを理解して、ちゃんと全体をホールドする人がいてこそ成り立ちます。そして、そのようなグループがお互いを助け合いながら全体で成長するためには、一人一人の自立が基本にあるべきだと私は思っています。

 

私がここ数年試みている「変容のプログラム」も、一人一人が自分の足で立っていくことを手助けするプログラムです。すでに何人かの人たちが巣立っていきました。

 

依存ではなく、人と助け合うこと

その境界線は微妙かもしれないけれど、ある状況の中では人の助けを求めることも必要だと私は思っています。

 

ほんとうに落ち込んでいるときに、一人で這い上がってこいと言われればもちろんそうするでしょう。でも、ほんのちょっと声をかけてもらったら、どれほど力になるかわかりません。

 

単純にそういう助け合いができて、そして、自分の足で立っていける、そういうグループワークを提供しています。

 

でもね、実際のところ、多くの人の関心は、スピリチュアリティ(精神性)ではなく、単にスピ系。

 

自分で立ちたくない、で、誰かに寄っかかっていたい。だからスピ系。

 

スピ系は楽しそうで、きらびやかだし、怖くない。

 

スピリチュアリティ(精神性)なんて言われると、大変そうだし、何となく寒々しくって、怖い。

 

まあ、それはあたっているし、長年かけて詰め込んできたゴミを一掃するには、それなりの覚悟をすべきだと、体験上断言できます。

 

それにね、スピリチュアリティ(精神性)に働きかけるワークの真髄を知ってしまうと、寒かろうが暑かろうが、苦しみにのたうち回って叫ぼうが、飛び上がろうが、問題じゃない。

 

そのプロセスの向こうにあるものを自分で手に入れることができることを知っていると、怖さを超えていけるんです。

 

毎年ゴールデンウィークに開催するWho is in?リトリートは、変容のプログラム参加者に一度は体験していただくコースです。

 

スピ系からスピリチュアリティ(精神性)を生きることを選択した人たちは、ほんとうに逞しく生きています。それは、提供者としての喜びでもありますね。

 

飛ぶなら今!

 

 

 

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