自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

自分らしさって何? についてのあれやこれや

自分らしさは本質?

「自分らしさ」といったときに、「それ」をどんなふうに知覚しているかによって、意味が違ってくると思います。ま、それはどんなものについても同じですけれどね。自分らしさって自我なのか、それとも本質なのか、って自問してみたんですけれど、はっきりした答えは、今のところないです。

 

哲学的な議論は苦手なので、ちょっと脇に置きますね。ただ、そもそもこのテーマを選んだのは、意識を自分に向けるためだったので、今もずっと見つめ続けているとだけ言っておきます。

 

今朝、私の意識が向かっていった先にあったのは、「らしさ」がくっついた「自分」というのはなかなか難解な公案(禅の伝統的手法で、答えのない問いを言う)だなという理解。思わずにやりとしたんですが、ブログのテーマを決めようとしていたときに、「自分らしさ」は文字通り内側からふわっと沸いて出た言葉だったんです。

 

無理矢理まとめるなら、本質的な自分自我の部分があって、どちらに視点を置いてしゃべっているかによって、「らしさ」つまりその自分が浮き彫りになるってことでしょうね。

 

自分らしさは自我?

で、あえて、こういうふうに置き換えて尋ねてみると、たとえば、ムリに個性的であろうとしたり、英語で言う Mine(私のもの)というときの「自分らしさ」だと自我から出ていることでしょうね。

 

言葉も使いようというのは、まったくその通りです。

 

でね、もちろん私が興味を持っているのは両方です。自我を落とせとか言われても、最初に自我が確立されていなければ、どこをどう落としていいのかわからないでしょ? その意味でどんどん「自分らしさ」「自分だけのもの」「個性的であること」を探求してみようと思うわけです。

 

体験してこそ理解する

 

Oshoの講話を聞いていたときに、ハッとしたことがありました。あらゆる伝統的なものは真実ではない、というような話の中で、彼は「私の言葉は、私自身の体験からやてきたものだ。もしあなたがその言葉だけを受け取り、それが真実だと信じ込んでいたとしたら、それは間違いだ。あなたはそれを体験してこそ、それが真実だとわかる」と。

 

「自分」を知るには、「自分」を体験することーーそれは日々の生活の中で「覚えていること」しかないと思います。

 

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