自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

自分らしさと個性の違い

個性的と言われることが多かった

私は幼い頃、母と離れていた1年間があったらしいことを最近耳にしました。母の口からそれを聞いたのですが、一瞬のうちに自分の深い寂しさの根っこがそれだったのだと知って、随分ほっとしたものです。

 

だって、このふっとしたときの暗さが自分の性格だとしたら、ちょっと気持ちのやり場がないじゃないですか。。。で、同時に、私の一人遊びのあれこれが、すごく意味深いものになったんです。

 

幼い頃の思い出の中で、母の不在は記憶から消されていました。思い出すのはよほど辛いことだったからでしょうね。記憶の中では、そこが抜け落ちている代わりに、別の記憶がいっぱい詰まっています。

 

それは一人遊びの数々なんです、たとえば、近所の駄菓子屋の金魚すくい。昔はマジ繊細なテクが必要だったんですよ。私は紙の4分の1、いや5分の1が残っていれば、チビの金魚をすくえたので、いつでも数匹を持って帰れていました。

 

あるいは、家の中に外の光が入らない真っ暗な空間があったのですが、そこに座って目を凝らしていると、だんだん何かが見えて来るんです。

 

また、鏡の前に手鏡を手にして立つと、鏡の中の像が見えるというのは簡単に想像できるでしょ? そんなふうにして、いつまでもその像を見ていたりとか。。。

 

子どもながらに瞑想してたのかもですが、ともかくそんな遊びをしながら育ったので、ま、どちらかと言うと、「変わった子」の部類に入れられてきましたね。

 

「個性的ね」というのは、便利な言葉だな、と受け取ってきました。つまり、私を理解してくれる友人はほんとうに少なかったと思います。

 

自分らしさと個性

この二つをどんなふうに捉えるかによって、同じことと言えるかもしれないし、違ったこととも言えるでしょうが、英語に置き換えるとはっきりしそうです。

 

個性(こせい)とは、個人や個体の持つ、それ特有の性質・特徴。特に個人のそれに関しては、パーソナリティと呼ばれる。(Wikiより)

 

ちなみにこれが個性的だとユニークネスになります。

 

そして、自分らしさはIndividualityとなっていて、反対に英和だとここに「個性」も入っているので、まあ、定義づけとしては同じカテゴリーに入っていますね。

 

そもそも言葉と言うのは、話している状況、話している人の観念的理解、前後の文脈などによってまったく別物と言って良いくらい変わるので、定義づけはできないし、する必要もないのですが、私の場合は「個性的」と言われてきたその部分を自分らしさだと受け取ってきたので、言葉の定義からしたら、ごちゃまぜというわけです。

 

でね、言い出した限りはどこかに着地すべきだから結論付けますが、自分らしさ=Individualityという時の自分=Individual=他と同じではなく、個としていることに向かう過程として「らしさ」に気づいていることが大事だなと思います。そして、個性もこのカテゴリーに入ると思います。

 

個性的は、ともすれば何か特殊なことのように使われることが多いですが、実のところすべての人がユニーク=個性的です。それはちっとも特別なことではないし、別の表現をするなら、すべての人が特別なんです。

 

そして、そのユニークさを再確認するのにクリーン・ランゲージは役立ちます。

 

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