自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

自分らしく生きれたら悔いはない

人生を振り返ったとき

 

つい先日聞いた講義で、その講師が言っていたことは、すごくあたりまえのことのようで、「確かに」って頷ける言葉でした。

 

彼は言ったのです。

 

「死ぬ間際に自分の人生を振り返って、“ああ、私はいつもいつもダラダラと時を過ごしてきたな、満足な人生だった”って言えるだろうか? 

 

「あるいは、“人の言うことを聞いてばかりで、一度たりとて自分のしたいことを主張して来なかった、これで満足に死んでいける”と言えるだろうか?

 

もし言えないとしたら、たった今そういう生き方を変えることだ」って。

 

そして、私は「自分らしく精一杯生きた」って言えたら、悔いはないと思っています。

 

自分のことは最後の最後

 

何かに気づいた時って、それまでは気づいていなかったわけだから、「つい最近まで私は〜〜だった」という言い回しになってしまうんだけど、ようく考えてみると、うすうす気づいていたこともあったりして。。。

 

私の場合のそれは「自分を後回しにするクセ」でした。というか、まわりの人が気持ち良くいてくれることが何よりも大事で、みんなが笑っていれば安心するって感じかもしれませんね。自分が最後というよりも、自分がそこにいなかった。

 

いちばん近いイメージは舞台の黒子かな? 主役の影で求められることをする役どころ。顔は隠しているし、存在を消しているのだから、それが安全な感じがしていたのかも知れません。とにかく目立たないようにいたかった。

 

そのこととは矛盾して聞こえるかもしれませんが、私は自分のしたことに対する周囲の評価をあまりにも重んじていました。そのために、良い評価を得られるように行動することが自分の望みよりも優先していたのです。

 

だから自分を忘れて、評価のために行動していた、人に役立つことをしていれば、人は愛してくれるし、大事にしてくれるといった思い込みです。自分が何をしたいのかがわからないから、人の望むことをしてあげることに躍起になっていたとも言えます。

 

インドを旅していたときに出会ったスピリチュアルマスターにDeva Daso(神の召使い)という名前をもらったとき、まったくもって、究極のジョークだと思いましたね。 

 

でね、何度も何度も自分に言い聞かせるんです。

 

「人のことは置いといて、自分に尽くしてあげようね」って。

 

そばにいるだけで温かい

良く言われるお褒めの言葉は、「だそのそばにいると温かい、落ち着く」という言葉です。それを耳にするたびに、「ほらね、何をするかじゃなくて、いるだけでいいんだってことだよ」って自分にささやくんです。

 

まわりの人の印象や感じをそのまま受け取れば、自分らしさが浮き彫りになるんですよね。最近は「だそに近づくのがこわい」というお声も聞きますが、それもとってもポジティブに受け取っています。

 

ほら、パワフルで、魅力的な人って、ちょっと近付き難い感じがするじゃないですか。きっとそれじゃないかなって♪♪♪

 

無料ステップメールの購読はこちら