自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

自分らしさをどう表現するか?

自分らしさは知っている、でも、表現するのは別のこと

それはちょうど、みんなが裸でいるお風呂に入る時には、自分も裸でいてちっとも恥ずかしくないけど、まわりが服を着ているのに一人だけ裸になれない、という感じに似ている、と言った人がいました。

 

へえ〜。そうなんだ〜。って言ったものの、私はまったくそんな感じを持ったことがないので、ちょっとおどろいたことも事実です。たぶん若い頃には人前に出るのも恥ずかしかったので、言っている意味が理解できないわけではありません。

 

そういう視点から見ると、自分らしさって、生の自分と受け取れなくもないですね。あるいはこの人の言うように文字通り裸の自分かもしれない。そして、まわりが裸なら、つまり自分をさらけ出している人たちに囲まれているときは、自分もそうなるし、まわりが裸を隠していたら、そりゃ、一人だけ裸になるのは嫌でしょう。危険でさえあるかもしれません。

 

でも、同時に、自分らしさを表現したからと言って、それがそのまますべてをさらけ出すことにはならないと思うのですが、先の発言をした人の表現するというのはどういう種類の表現なのでしょうね? ここでまた表現するという言葉の定義が問題になります。

 

こんなふうに、短い発言の中にも、不明瞭な言葉が山ほど含まれいるので、それをそのまま解釈するのは難しいです。自分自身の言葉でさえも、そんなときがありますよね?

 

クリーン・ランゲージの質問

 

いろんなところで引用したり、紹介しているクリーン・ランゲージという言葉は新しい言語です。今日もそのコース「セッション提供者のためのクリーン・ランゲージ」を終えて来たばかりです。

 

クリーン・ランゲージ技法の特徴的要素として、メタファーというまったく個人的なものを媒体とするため、ワークの過程で、自分らしさを表現できるということがあると思います。

 

たとえば、あなたのハートはどこにありますか? そのハートに大きさや形がありますか? など、クリーン・クエスチョンと呼ぶ問いを尋ねられて、それを知覚していくときに、言語的、または非言語的表現を使うことになるのですが、それはその人自身の言葉であり表現なのです。

 

ステップメールコーチのためのクリーン・ランゲージでそのテイストをご紹介しています。