自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

どうやって自分らしさをなくしていったのか

ちょっと悲しい昔話

 

私は30代で最初の夫を亡くしています。10歳年上の彼が脳内出血にたおれて昏睡状態になり、4ヶ月間病院生活を強いられたのですが、まだ確立された仕事があったわけでもなく、頼る人もいない状況の中で、生活費を稼ぎながら、病院の最低限の費用を作り、しかも彼のそばに付き添うのは、かなりなことでした。

 

高額療養費というものが適用され、毎月、役所と病院の間を札束を小脇に抱えて移動する日がありました。確か1万円札が30〜40枚くらいあったと思います。もしその数が一桁多かったら、きっとどこかに高飛びしていたかもしれませんが、幸か不幸か当時の私は無感覚、無関心の極みに置かれていたので、その日の「お勤め」は苦痛以外の何者でもありませんでした。

 

ある時、役所の保険窓口のおじさんが、メガネの向こうで小さな目を光らしながら、こう言いました。

 

「あんた、ほんとにこのおしめ代必要なの?」

 

一瞬何のことかわからなかったのですが、たった5,000円のおしめ代をごまかさなきゃいけないほどに見えたのか、それとも単なる意地悪なのか、いずれにしても、それはとても屈辱的な言葉でした。第一、その時まで私は「おしめ代」なんていう名目の用紙が入っていることすら気がついていなかったのです。

 

私は夫の「第一級身体障害者手帳」を指差して、相手を見据えて、言い返しました。

 

「まったく足りないくらいです。ずっと寝たきりで、一人では呼吸すらできないですから。」

 

相手は黙ったまま札束をもう一回数え、無言のままそれを差し出しました。

 

役所を出た途端に、悔しさと惨めさで目が潤みかけましたが、そのときの私は泣いている暇などなかったのです。ウォークマンで大好きな歌を聴きながら、スキップを踏んで病院に向かう若かりし頃の私を振り返ると、心から彼女を愛おしく想います。 

 

集中治療室を出たら、そこは姨捨山だった

夫は救急で運ばれたので、幸か不幸か、大きな病院で、脳外科の名医に手術を受けて、そのままICU(集中治療室)に居場所を確保しました。2ヶ月が経った頃、大した進展もない症状の夫を他の病院に移して欲しいという申し出を受けたのです。

 

右も左もわからない(ついでに言えば金もない)私には、イエスと言う意外に成す術はなく、病院から紹介のあった小さな病院に移ることになりました。それまでは完全介護だったのが、あてがわれた部屋は大部屋で、8人の老人が次から次に咳き込む場所でした。

 

看護師さんは入って来るなり、窓を大きく開けます。そうでないと、すごい臭いがこもっているからですが、冷たい風が入って来るので、かならず誰かが咳き込みます。きっと忙し過ぎるのでしょう...彼女たちの行動は痛々しいくらい乾いており、ドアの開け閉めも乱暴です。

 

私はただ彼だけを見つめて、動かない手足をさすっていました。

 

ときどき他の患者さんの家族が入って来るのですが、みんなあきらめ顔で10分かそこらくらい顔をして患者のそばに立ち、肩を落として帰っていくのです。

 

こんなの間違っている。何もかもが狂っている。私の手は彼をさすっていたけど、両方の足は絶え間なく小刻みに動く連続運動を止めませんでした。

 

「私」はそこにおらず、惨めで、無力で、無能な、一人の女性が、行き場を求めて悲鳴を上げていました。

 

姨捨山という言葉が脳裏をかすめました。いえ、けっして病院や環境に文句を言っているわけではありません。ただ、この社会の歪みの部分ですごいことが起きているんだなというのを幸か不幸か、この私が体験させられているということだけは確かであり、私はそれを受け入れていたのです。

 

幸か不幸か、自分らしさはけっしてなくならない!

 

たとえばこういう苦難の道の上にいると、人間変わっちゃいますよね? 大なり小なりタフになるし、きっと不幸を背負った顔つきになっているかもしれない。でも、ここにあるいいニュースは、何をどうがんばっても、私たちは自分らしさをなくすことはないということです。

 

たとえば、この話の中の若かりし頃の私にしても、スキップを踏んでいた私や、彼を見つめていた私、もちろん役所のおじさんを見据えていた私も、しっかりとそこに生きていたわけで、自分をなくしていたわけではなく、たんにいつもの「らしさ」が表にできて来ていないだけのこと。

 

陽気な私や、気楽な私が「らしさ」だとしたら、それが「いつも」の顔で、そうではない私も出て来るというだけのこと。そう考えると、ほら、このままでいいんだな、というところに落ち着きませんか?

 

夫は4ヶ月後に息を引き取りましたが、この人ほど自分の生を生き抜いた人を私は知りません。そういう意味で、彼を追い求める気持ちはまったくないのです。こんなに幸福なことはないんじゃないかな、と思います。

 

 

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