自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

自分らしさを取り戻す

自分らしさを取り戻す

自分らしさを取り戻すーーそれはつまりあったものを失った、あるいは、どこかに忘れて来て、それをもう一度手にすると、きっとそういうことですよね? それは先日の「自分らしさを身につける」よりはずっとリアルなテーマだと思います。

 

そして、私たちは「これが私」や「私は私」というところにいても、ちょっとしたことがきっかけで、自分以外の誰かを演じてしまうことがあります。

 

その「ちょっとしたこと」は、多くの場合、マインドが「これやると良いらしいよ〜」とか「こうするほうが儲かるよ〜」なんてふうに、いやらしい声でささやく時です。フラフラ〜とその声に誘われてしまうと、私たちは自分以外の誰かのまねをしていたり、マインドが言う「良いらしいよ〜」にしたがってしまうのです。

 

集客のためのセミナーのDVDを見たことがあって、アメブロ攻略法とか言うものでしたが、実験好きな私は、言われた通りのことを試してみたんです。意識的に、彼らの言う「良いらしい」ことをやってみようと、、、。

 

簡単に言うと、ブログを書く時に、人の悩みにフォーカスし、私もそういうときがあった、でも、こういうふうにして乗り越えて来たんだ、というような書き方をしろと、そんな説明だったと思います。私は基本的に書くことは好きなので、いくらでも文章をデザインし、好きなように組み立てることはできます。

 

ただ、まったく自由な発想から書いていないので、どこか無理のある、あるいは自分らしくない表現になってくることに気がつきました。その実験の結果、自信を持って言えることは、もしブログを書きたいなら、そして、書くことで人に何かを伝えたいのなら、自分の正直な気持ちを綴ること以外、何もする必要はないということです。

 

自分らしさを取り戻したいのなら、ただ正直でいれば良いだけ。そのために何かをする必要はないのです。

 

 

言葉力

 

言葉は、言の葉、と書きますが、私はこの表現がとても好きで、一つ一つの言葉は、葉っぱのように一つ一つ独立していて、それぞれに命を持っていると思うのです。というか、命を吹き込んで使えば、それがエネルギー=力となる。

 

そして、命を吹き込むかぎりは、真摯に、愛を込めて、自分の伝えたいことが葉っぱに乗って飛んで行くことを祈りながら、手の上のその葉っぱをふ〜って吹くんです。

 

その葉っぱはその人が伝えたいものを何でも運んでいきます。嘘でも、はったりでも、巧妙な罠でも、、、。そして、そういう葉っぱを本物と勘違いすることもあるでしょうね。あるいは、本物と思いたい! むしろ、だまされたい! とかね。

 

言葉の暴力とかいう表現もあるくらいですから、アブナイものも運ぶわけで、少なくとも自分の側から使わないように気をつけたいですね。

 

正しい道の上にいるときは楽しい 

 

私は読書が好きです。と言っても、一般に言われる読書家ではないかもしれません。とにかく読むのが遅いので、読みたい本はつねに山積み状態です。

 

私の読み方は、う〜ん、と唸るほど、何かで考えが詰まったりした時に、本棚の前に立って、直感的にこれ! という一冊を取り出し、パッと開いたところを読むんです。

 

100パーセント、欲しい言葉に出会います。

 

最近の言葉で気に入っている一節があります。

 

人がどんなふうに道を選んでいけば良いのかについて、一つの判断基準がある。あなたが進んでいる道や方法がどのようなものであれ、それがあなたにもっと喜びをもたらし、もっと繊細で、もっと気づきに満ちて、大きな幸福感を与えてくれるのであれば、あなたは正しい道の途上にいる。もしあなたがどんどん惨めで、どんどん怒りを感じ、身勝手で、欲張りで、情欲だらけになっていたら、あなたは間違った途上にいる」という一節です。

 

この言葉にであってから、自分が少しでも、惨めさや怒りの方にいると感じたら、 おっとっと、間違った道にフラフラと寄っていってるな、と思い出せるようになりました。

 

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ヘタな文章もみがけば宝