自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

自分らしさを身につけると言ったとき...

自分らしさを身につける...

 

自分らしさを身につけたい、という人がいます。

 

で、その身につける、は、どんな種類の「身につける」なんでしょう?

 

そもそも自分らしさって「身につく」ものなのかな? って思うんですよね。

 

私が考える「自分らしさ」は、もともと「ある」ものなので、それを見つけるというか、それに気づくことが大事なのかな、と。

 

でもって、やはり周囲の目が気になる世の中だと、どうしても、自分以外の誰かになろうとしてきて、らしさというよりも、自分そのものを忘れてしまって、らしさを探すことになるのかな、と。

 

Who is in?(内側に誰がいる?)

禅の伝統にある「考案」と、コミュニケーションエクササイズと呼ばれ技法が統合されて、「考案エクササイズ」というメソッドが考え出され以来、もう何十年も、世界中のさまざまな場所で、「瞑想リトリート」なるものが行なわれてきています。

 

私が個人的にここ何年も欠かさず参加してきたのが、5月連休にあるWho is in?という瞑想リトリート。

 

早朝から夜中まで、活動的な瞑想と、考案エクササイズを繰り返し、覚醒を促すプロセスを通ります。

 

日常で同化してしまっている「私」の自己イメージ、感情、思い込みや信条などが次々に剥がされていくのを見つめていると、「自分らしさ」というよりも、「誰でもない私」をそこに見いだすことになります。

 

答えのない問い「内側に誰がいる?」を問い続けることによって、普段眠っている意識が文字通り目を覚ましていくのです。

 

また、目覚めることによって、内面に深いくつろぎがもたらされます。

 

この体験を持つと、自分らしく生きよう、とか、自分らしさを探すとか、自分らしくふるまうとか、そういった一切の願望は消えていくでしょう。

 

「自分らしくいる」ではなく、「自分でいる」ことになるのです。

 

 自分でいる 

そして、この「自分でいる」というのは、何にも増して強いことです。誰が何と言おうが、私は私、シンプルに、それ以上、どんな疑問の余地もない、確固たるものです。

 

これは身勝手さや、独りよがりな考えで生きていくということではありません。

 

そのことを本当に理解するために、私は何年も何年も自分を見つめてきて、、、少しずつたまねぎの皮をむくみたいに、これは私じゃない、それも私じゃない、ということをしてきたんだなあ、と思います。

 

そして、思うのは、「自分らしさ」でも「自分でいる」でも良いから、ともかく自分自身を見つめていることが、私にできるすべてだということです。

 

「自分」というテーマで書いていこうとすると、言葉って繊細だな、とあらためて思います。一文字違いでまったくニュアンスが違ってくるのだから...。

 

きっと私がこの言葉「自分らしさ」を選んだのは、私にとって大切なことなんだろうな。だから、真剣に書き綴ってみたいと思います。