自分自身のマスターとして在る

瞑想歴33年・コアな瞑想体験を綴っています

普通の人でいたいから普通の生活に戻る

今朝起きて、大きな窓を開けたら、深い深呼吸といっしょに涙が出そうになくらい幸せに包まれました。 

 

それは「ほんとうの私」を思い出せたからです。

 

クールにさまざまな仕事をこなすオーガナイザーでもなければ、いくつものセミナーを成功させ続けているトレーナーでもなく、ただ一人の女(ひと)であり続けるために生きているのだということが、思い出せたからです。

 

人の鏡に映る私がどんなにすばらしく見えても、それはほんとうの私ではない。

 

人の鏡に映る私がどんなに偉大で、尊敬に値しようが、そんなことは知ったことじゃない。

 

私という存在の真実は、人の鏡に映る姿とは無縁だと、肝に銘じた朝でした。

 

そして、私は意図的に普通の生活を楽しむ時間を持ちます。ご飯を炊いて、近所のおいしいお豆腐屋さんのおあげを買ってきて、おろししょうがとお醤油でペロリとか、キャベツの千切りに揚げたてのコロッケのコンビのときは、中濃ソースでとかね。

 

おなかが満たされたら、川べりの遊歩道をただただ歩いたり、近所の公園でぼーっとしたり、お気に入りのカフェでカプチーノをすすりながら読みかけの本に没頭したり、、。

 

そんな普通の生活が手元にある限り、群衆の中に自分を見失いそうになりながらも、私はほんとうの私でいられるのです。

 

 

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【不安】を感じたときの行動を見守ること

Oshoインターナショナル瞑想リゾートで、数々の瞑想、数々の心理セラピー、数々のボディーワークを習得し、実体験を繰り返し、最も日本人に適していると判断したものだけを提供してきたこの36年間を振り返ったとき、私は自分の技能が成熟した根底にはOsho瞑想があることを確信します。

 

見守る力が身についていることは、さまざまな状況の中で見い出せます。

 

中でも、ふとした不安を感じる瞬間に、その不安の中にとどまり、自分が何をしようとするかを観照していられるというのは大きなことだと思います。

 

たとえば、胃が痛むとき、たまたま薬局の前を通りかかるとする。

 

マインドは「薬!」と言い、咄嗟に体が反応して薬局の中に足を踏み入れるます。

 

それはある種の行動パターンなので、あらがえない行為です。棚を物色したり、係りの人に尋ねたりという行動が起きます。

 

でも、そこで注意を内側に向け、ほんのしばらくの間、そこにある感情、感覚、思考に起きていることを見守ると、自分が何をしようとしているのか(もしかしたら何かを避けようとしているのかもしれない)が見えてきます。

 

定員さんに「ありがとう」と言って、おなかをさすりながら店を出ると、どこかホッとしている自分に気づきます。

 

帰宅したら消化に良い食事を作ろう、というときもあるし、お風呂で温まろう、というときもあるけれど、いずれにしてもその選択に確信があり、ただおなかをさすっている自分に愛しさを感じるのです。

 

私たちはもっともっと自分のことに注意を向けるべきです。

 

そのためにクリーン・ランゲージとシンボリック・モデリング という手法を使うこともあれば、単に瞑想を勧めることもあるけれど、私が日本に住む忙しい現代人に向けて発信しているメッセージは、「瞑想で、この瞬間をつかめ!」ということに尽きます。

 

合掌ーー。

 

awareness-intensive.jp

 

生真面目な日本人気質をどう生かせるか?

私は日本人気質をエニアグラムのタイプ1だと見ています。正確性を求め、「これはこうあるべき」にとらわれがちで、責任感や義務感から動くというトラップにはまりやすいと思います。

 

マニュアルなしに動けなかったり、指示がないと進む道が見えない。

 

青少年期に自我が確立されていないので、「私」の立ち位置が曖昧。歴史的に見てもそうだと思うのですが、「村」という一つのグループに属すことでのみ安心感を得るのも、「私」としての意見が言えないのも、自我が確立されるべき時期に、自分で立っていくために背中を押されていないからです。

 

ひなが還って立派に成長し、いざ飛ぶ時だということを親が認識していないからです。

 

私は幸いにもヤンチャだったので(笑)10代の内にさっさと実家を出ましたが、そしてマニュアルのない世界を歩いてきた分、何度も転落しそうになりましたが、その分足がしっかりしたし、自分が飛ぶための羽根を持っていることにも気が付けました。

 

ところが、そんな私も日本人であることには変わりないです。

 

私は結婚した相手の連れ子と暮らした経験がありますが、自分が子供にお小遣いをあげたり「勉強しなさい」といったセリフを吐くときに、かなり驚いたものです。

 

そんなこと彼らの自由だと思っているにもかかわらず、無意識のふるまいとして出てしまうのだということに愕然としたのです。

 

生真面目な日本人気質は私の中にもあるということを認めざるを得ませんが、その気質の良い面をどう生かせば良いのだろう? と考えるようになりました。

 

たとえば美術工芸品などに見られる洗練された美しさは、「」という一文字で表されるところの、圧倒される美しさだと思います。

 

そして「匠の技」はありとあらゆるところに生かされています。そういう利点に人々がもっともっと意識的になっていくために、自分自身に目を向けるワークを提供していきたいのです。

 

www.reservestock.jp

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